【葛藤】他人を否定することで自分を保ってきた


   
すごく恥ずかしいし
情けない自分の話だから
誰にも知られたくないけど
  
   
でも今日は
私の葛藤の話をする
私自身のために
私を許すためにも
     
     
私の人生において
一番の課題と
言ってもいいほどに
ずっと向き合ってきたことが
あるんだよね
        
       
それが
『自己信頼』
      
     
自分を信頼するという事
私は長い間、この部分が
ごっそりと抜けたまま
生きてきたんだ
本当につい最近までね
     
    
私は宇宙とか宇宙人とか
スピリチュアルな事は
結構知っている方だと思う
望むものを
現実化する方法も知ってる     
       
   
今までたくさんの人に
色々なことを
教えてきて伝えてきて
    
   
スピリチュアルな教えを通じて
自分の存在を知ってもらい
感謝されることも増えた
      
      
今は昔に比べて
講座やセミナーなどの
自分の活動量は
減っているけれど
    
    
それでもずっとずっと
私を応援してくれたり
喜んでくれたり
褒めてくれたり
すごいねって言ってくれたり
      
      
私のまわりには
そんな人たちが
今も本当にたくさんいる
      
     
だけどそれでも私は
私のやってきたこと
私の存在を・・・
私の価値を・・・
ずっと認めることが
できなかった
       
      
褒められたり感謝されたら
表面的には
『ありがとう』って
受け取るんだけど
     
     
なんだかいつも
他人事だったんだ
    
   
“そんなはずないよね”
“お世辞だよね”
“建前で言ってるんだよね”
“気を使って
言ってくれてるんだよね”
       
         
そこにはいつも
“疑い”があった
   
   
そう、私は
ずっと自分のことが
信じられなかった
   
   
それはいつから
始まったんだろうか
いつから私は自分のことを
信じられなくなったんだろう
過去を思い返してみる
   
   
そういえば私は幼い頃から
嘘ばかりつく子供だった
      
      
怒られたくないから
嘘をついたのか
気を引きたかったから
嘘をついていたのか
   
    
理由はもうよく
思い出せないけど
    
    
きっとはじまりは
大好きな母親の
気を引きたかったんだと思う
    
   
子供だった私は
自分に注目してもらうために
何かびっくりするような事
驚くような事を
言わなくちゃ!!!
そんな想いだったと思う
       
      
でも気づいたらもう
嘘をつくことが
自然になっていて
   
   
当然、親やまわりの人間も
子供だった私の嘘が
手に取るように
分かっただろうから
   
    
・この子はいつも嘘をつく子供だ
・この子はいつも
 いい加減な事を言う子供だ
・この子の言うことは
 信用しちゃいけない
・この子の話は
 話半分で聞かないといけない

      
     
そんな目で
私を見るように
なったんだと思う
   
    
もちろん私も
そんなまわりからの視線を
敏感に感じ取ったんだろうね
     
   
そうして生まれた
私の内なる大きな葛藤
それがコレ 
         
            
『私は信用されない人間だ』
『私は信頼できない存在なんだ』
『私はまわりのみんなから
 そう思われているし
 そう思われるべき人間なんだ』
      
       
私は”わたし”を
自分自身の手によって
世界で一番信頼できない人間に
仕立てあげたの
    
     
だから大人になっても
私の意識の土台には
ずっと自己否定の葛藤と
エネルギーが
渦巻いていたんだよね
         
             
でもねそれでも
私のこれまでの人生は
割と幸せで、豊かで
私はこれまでの人生で
たくさんの人に愛されてきた
   
    
強烈に自分を
否定してきたにも
関わらずにね
おかしいよね     
    
        
子供の頃からずっと豊かで
たくさん愛されてきたから
     
   
まさか自分の意識の奥底に
そこまで強烈な
自己否定があるなんて
ずっと気づかずにいたの
       
      
なぜなんだろう
なぜずっと幸せなままで
気づかなかったんだろう
      
      
そして私は
自分と向き合って
その答えに気づいたの
   
     
強烈な自己否定を
土台に生きながらも
私が今までとても幸せに豊かに
生きてこれたその理由は・・・
    
      
まわりの人達が
私を心底
信頼してくれていたから
     
      
いつも私のそばには
支えてくれる人がいて
愛してるって
言ってくれる人がいて
      
       
私生活でも何か困ったり
お金が苦しくなったら
すぐに助けてくれる人がいて
     
     
いつも褒めてくれたり
感謝してくれて
心配してくれたり
声をかけてくれる人がいて
   
     
そして
私の商品を良いと思って
買ってくれたり
私のブログや本やメルマガを
喜んで読んでくれる人たちがいる
  
    
私自身の自己信頼は
ごっそりと抜け落ちていたけど
彼らが私を信頼してくれたから
なんとか私は生きてこれたんだ
     
     
それに気づいたとき
感謝が湧いてきたと同時に
私は自分が情けなくなって
恥ずかしくて
     
       
まるで
誰かの手柄や成果を
我が物顔で奪って
自分のものにしたかのような
    
    
そんな自分の傲慢さを
ジャッジしてしまったの  
   
    
なぜかというと
実はこれだけじゃなくて
私に内側には
もっと否定的な感情があったから
   
    
私はね
自分への信頼を
感じられなくて
自己否定や欠乏感を感じると
     
    
その解決策として
自分以外の誰かや何かを
否定することでしか
自分を心を
埋めてあげられなかったの
    
    
そう私は
自分への自己信頼が無いことで
他の人まで否定したり
ジャッジしていたんだ
       
      
自分は人のふんどしで
相撲をとってきたくせに
   
    
自分のことは棚に上げて
ふんぞり返って
他人のことを
あーだこーだ言って
ジャッジする
    
    
自分は他の人には
葛藤を手放そう
ジャッジをやめようって
言いまくってるのにw
       
         
情けないです   
恥ずかしいです   
        
         
でもね自分と向き合い続けて
ようやく自己信頼を邪魔する
大きな葛藤を手放す道が
見えてきて私は嬉しい
     
    
だから私は
今までのこの情けない私も
葛藤に気づかずに
他者をジャッジしてきた
この恥ずかしい私もね
     
   
すべて許そうと今決めたのです
私は私のすべてを信じたいし

信頼したいし、愛したいからね 
      
        
 
 

          
創造主の名のもとに

私は司令する
   
私は自分を卑下したり
否定する
あらゆる葛藤を手放します
   
私自身への自己信頼を

邪魔してきたこの葛藤を
手放します
        
私、浮舟ノアという存在は
いついかなる時も
信頼に値する存在であるから
        
たくさんの嘘をついてきた
自分を許します
他者をジャッジしてきた
自分を許します
      
すべてが正しく完全であり
誰にとっても
必要なことが起きたことを
理解しているから
      
私は無条件に

自分を信頼することができる
“信頼”はこの瞬間にも

私のすべてを満たしている
  
もしまだ私が気づいていない
自己否定や自己信頼に関わる
葛藤があるのなら
私に分かるように
気づかせなさい
    
“信頼”の波が
私の内側を駆け巡る
そして私は気づく
信頼とは私の存在
そのものであると
      
これが私である者
I AM THAT I AM
     
  
 
      
みんなのおかげで
大きな葛藤があっても
それなりに幸せな人生を
生きることができた
   
   
でもこれからは
誰かが与えてくれる信頼を
土台に生きていくのではなくて
    
     
私がわたしのことを
心底信頼して、心底愛して
生きていきたいし
そうして生きいくつもり
   
   
自分を1000%信頼して
生きていったら
一体どんな世界が広がって
いくのだろうか
    
  
そんな未知の世界を
今はまだ少し怖くも感じる
    
   
でも私は新しい一歩を
踏み出してみようと思うよ
     
𝑁𝑜𝑎ℎ☪*̣̩