昨日、
新しいスピリチュアルスクールを
はじめます!という
ブログを書いて
Facebookで告知しました
そして夜にメルマガでも
お知らせしようと思って
準備してたら
なんだか急に怖くなってきて
そこからせきをきったように
自分の中から
不安が押し寄せてきたんだ
なんで
そんな事が起きたかというと
私がずっとやりたかったことを
自分を開いて行動しはじめたから
その反動で私の根底にあった
それはまた大きな葛藤が
外に出てきたんだよね
これって実は
とてもポジティブな流れで
今まで隠れてはいたけど
確実に私の人生を形成していた
大きな大きな葛藤が
もう不必要になったから
外に流れてきたという感じです
メルマガを書く手をとめて
とにかく私は
自分の内に内にと
意識を向けてみたんだ
そして自分のフィーリング
(感じていること)を
よーーーく観察してみる
私はとにかく不安を感じていた
そして何かを恐れてもいた
これらの正体が分からなくても
このポイントで
『この葛藤を手放します』って
言ってもいいんだけど
私の中にずっとあった
この大きなしこりが
一体”何者”なのか
私はもうちょっと具体的に
その正体を知りたくて
そのまま観察を続けたんだ
スクールをはじめることが
不安なのか
私のことを受け入れて
もらえないかもしれない
という不安なのか
考えてみたけど
スクールをやることは
確かに不安もあるけど
それ以上に
喜びの方が大きいから
それは理由ではない
私が新しくはじめることを
まわりの人に受け入れて
もらえないかもしれない
という不安はあるかな?とも
考えてみたけど
まぁ、
興味を持ってもらえなかったら
さみしいし
人が集まらなかったら
どうしようかな?
という不安もなくはないけど
その時のことは
その時考えたらいいし
うまくいかなかったら
また別のことを
やってもいいんだし
恐怖を感じるほどの
不安でもない
じゃあこの葛藤は
新しくスクールを
はじめることによって
現れた葛藤ではあるけど
その実態は
今回のスクールの発表とは
無関係だ
葛藤を探求していくときに
おもしろいなぁと感じるのは
その葛藤自体が
その時に起きている現実とは
全く無関係のこと
だったりするんだよね
それが顕著に現れるのは
お金にまつわる葛藤なんだけど
みんな
お金の悩みや問題が起きると
お金と自分との関わり方とか
お金に対しての考え方を
変えようとするんだけど
お金の問題を生み出している葛藤は
『実はお金とは無関係のこと』
の可能性の方が高いんだよね
自分の無価値感だったり
欠乏感だったり
恥の意識だったり
そんな風に思いがけない
理由が元の葛藤だったりするから
見つけるのが難しいんだけどね
さて、話を戻して・・・
葛藤を探っていくよ
なぜ私は
強烈な不安を感じているのか
この不安は一体どこから
やってきているものなのか
でもなかなかピンとこない
だから、
アカシックレコードカードを
使ってみることにした
葛藤が大きなものである時、
セルフアカシックリーディングでは
知りたいことの情報を
無意識のうちに恐れてしまって
拒絶してしまうので
私はよく
ゲリーボーネルさんが制作した
このアカシックレコードカードを
使っています
このカードは
オラクルカードとは違うので
ネガティブなカード(逆位置)も
存在したりしていて
使いこなすまでは
少し難しいと感じるかも
しれないけど
使えるようになれば
自分の意識の深い部分にある
様々なものを見せてくれるので
自分のアカシックリーディングを
助けてくれる
とっても頼もしいカードです
『私が何を恐れているのか
見せて』と聞いて
出てきたのは
『COMMUNE』コミューン
コミュニケーションのカード
このカードを見て
私はピンときた
うわぁぁああ
そうだ❗❗
私が恐れているのは
コミュニケーションだ❗❗
꙳
꙳
꙳
꙳
私が新しいスクールを
立ち上げるときに
決めたことがあって
私はこれから
私の講座を受けてくれる人と
私は本当に深くつながりたい
と思っているし
本当に彼らを理解したいし
1人1人の存在を
無条件に承認したい
願いを叶える叡智を
教えることは
もちろんなんだけど
裏テーマとして
『繋がり合う』
ということを
掲げていたんだよね
この『繋がり』が
コミュニケーションに
言い換えられるんだけど
でも私にとっての
『コミュニケーション』
というものが実は
『一方的に決められること』
『一方的に怒られること』
『最終的には自分のことを
無視される』
というような
とてもネガティブな信念の上に
置かれているものだったんだ
このネガティブな信念が
一体どこから
やってきているかというと
それは私の幼少期の
『母親との関係性』
なんだよね
私、小さい頃の記憶を
本当によく覚えているんだけど
まぁそれはそれは
いつも怒られていて(笑)
私の性格的にも
いつもボケーっとしていて
言われたこともすぐに
忘れちゃうもんだから
『なんでできないの?』
『どうしてそうなの?』
みたいな感じで
理由も聞かれずに
ずっと怒られていたんだよね
でもおかしいのが
私が本当に
悪いことをした時には
『無視される』
『何も言われない』
だったんだよね
例えば
私がおばあちゃんの財布から
お金を盗んだことが
あったんだけど
そのお金を自分の机に
隠してたんだけど
あるタイミングで
そのお金が無くなってて
『あ、バレた』と
なったんだよね
今思えば分かるんだけど
その時、小学生低学年くらい
だったし
もう、そんな小学生低学年の
盗みなんて、家族みんなに
バレバレなわけですよ
でもね、
誰も私に何も言わないの
誰も怒らないんだよね
そして別の時には
母親が近所の子供を集めて
英会話教室をやってた時があって
他の子供と一緒に
私もそこに参加してたんだけど
テストのときに超わかりやすい
カンニングをしたわけなんです
もう、あからさまに
机の下を
覗き込むみたいな感じでね
私、今母親だからさ
もし自分の子供が同じこと
やってたら
『何してんの?(笑)』とか
『ほら、見ちゃだめでしょ〜』とか
『それはいけないことだよ!』とか
『どうしてそんなことしたの?』とか
何かしら絶対に声かけてるんだよね
でも、私の母親は
『無視する』だった
『何も言わない』だった
そんな母親との
関係性の中で生まれた
コミュニケーションの定義が
無意識のうちに拡大していき
大きな葛藤になったのだ
『私は一方的に
決めつけられるべき存在』
『私は一方的に怒られるべき存在』
『私は最終的には自分のことを
無視されるべき存在』
えぇぇ〜最悪じゃない???
こんな葛藤を根底に持ってたら
そりゃあ
人と関わるの好きじゃない
人と関わるの怖い
人とは関わらないでおこう
ってなるよね???
ぎゃ〜〜〜
いやだぁぁぁあああ
でも、大丈夫。
この信念(葛藤)は
真実ではないと私は知ってる
私にとっての
真のコミュニケーションとは
・相手をそのまま承認すること
・相手を理解しようとすること
・相手の話をよく聞くこと
・相手が求めるアドバイスや情報が
あれば必要なサポートをすること
(これはあくまでも
私にとっての定義です)
そして相手との関係性は
自分と”内なる自分”との関係が
現れているだけだから
私が与えたものが
私が受け取るものになる
与えること受け取ることは
常に同時に起きているから
そして私は最後に
こう言い放った
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私は
コミュニケーションに関しての
葛藤をすべて手放します
これらの葛藤は真実ではない
私の人生にはもう必要ではない
私は常に
安心と平穏の中にいます
私の求める平和な世界は
今ここにある、私の中に
私は安心です
私の存在が安心そのものです
私は満たされた存在です
私の求める安心が
次々と現れるのを
私は見届ける者である
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さて、これからやっと
メルマガを書こうかな
長い文章に
お付き合いいただき
ありがとうございました
𝑁𝑜𝑎ℎ☪*̣̩